落ちこぼれは、ゴールの手前で必ず破綻する
どうしても採用してはいけない人、組織にいてもらっては困る人というのは、確かにいます。面接の受け方も履歴書の書き方も出回ったいま、そんな人は見抜けないと、多くの人は思い込んでいます。けれど、そういう人の振る舞いは、日頃のどこかで必ず破綻している。ある老経営者が、忘年会の駐車場で何を見ていたか——という話です。
SUMMARY破綻は、細部に出る
組織には、入れてはいけない人がいます。能力の高低ではありません。能力は高くても、要所で必ず周囲を巻き込んで破綻させる人がいる。問題は、そういう人をどう見抜くかです。面接の模範解答も、履歴書の整え方も、いまや誰でも手に入れられる。だから「見抜く方法などない、入ってみないと分からない」と、多くの人が諦めています。けれど、取り繕える場所と、取り繕えない場所がある。
面接や書類は、本人が「見られている」と知っている場所です。だから、いくらでも整えられる。本当のその人は、見られていないと思っている場所、評価と関係ないと思っている場所に出ます。
「ゴールの手前」で人は崩れる
こういう人がいます。普段はそつなくやっているのに、締め切りの直前、繁忙期の入り口、あと少しで終わるという局面になると、決まって泣き言を言い出し、投げ出し、周囲を巻き込む。修学旅行の帰りのバスで、もうすぐ学校に着くという段になって体調を崩す——あの種の崩れ方です。負荷がいちばんかかる手前で破綻する人は、組織のいちばん大事な局面で、必ず同じことをします。そしてそれは、平時の面接では絶対に見えません。
取り繕えない場所を見る
では、どこを見るか。評価に関係ないと本人が油断している場所です。車の運転や車庫入れ。順番待ちの態度。雑事の片付け方。誰も採点していないと思っている所作にこそ、その人が負荷や面倒にどう向き合うかが、無防備に出てしまう。日常のささいな破綻は、本番の大きな破綻の予告編です。それを読む目を持っているかどうかが、人を入れる側の力量を分けます。
COLUMN駐車場に、立つ一時間
その年の忘年会の日、開場の三十分も前から、その社長は会場の料理店の駐車場の入口に立って、社員たちを待っていました。普段はあれほどちゃらんぽらんな人が、と私は驚きました。奇矯な冗談を言って人々を戸惑わせてはニヤニヤしているあの人が、こんなに律儀に人を出迎えるのか、と。
「今年も一年お疲れさま。業績もよかった。今日はゆっくり楽しんで」。ひとりひとりにそう声をかけては、頭を下げて迎え入れる。その意外な姿に押されて、私も寒さの中、しかたなく一緒になって、やあお疲れさま、と声をかけていました。コートの襟から白い息がもれて、手の先がじんじんと冷えていく。それでも老経営者は、一台、また一台と入ってくる車を、端から見送っていました。
社員があらかた会場に入り、二人きりになった瞬間でした。老経営者の顔から、それまでの人のよさがすっと消えました。冷たい目をして、名前を二つ挙げて、吐き捨てるように言うのです。「年が明けたら、あの二人には役職を外れてもらうか、辞めてもらおう」。
私はぎょっとして言いました。なぜ、こんなめでたい日に、それも嬉々としていた二人について、こんな、やぶからぼうに。老経営者は、駐車場のほうへあごをしゃくりました。「あの二人だけが、車もまともに運転できず、車庫入れに手間取って、後ろに並んだ他の社員まで巻き込んで待たせていただろう」。たしかに、そうでした。私は寒さにそこまで注意を向けていなかった。
「君も修学旅行で覚えがあるだろう」と彼は言いました。「帰りのバスで、もうすぐ学校だというところで、吐いたり失禁したりするやつが。どれだけ取り繕っても、ゴールの手前、休憩の手前で泣き出して周りに迷惑をかけるやつは、必ずいる。能力の問題じゃない。この一番の剣が峰で、必ずしゃがみ込んで足並みを乱す落ちこぼれなのだ」。そしてこう言ったのです。「私はそれを観察するために、ここに一時間近く立っていたのだよ」。
その言葉が、私にはすぐには飲み込めませんでした。車庫入れがへたなことと、仕事ができないことと、その間に一体何の関係があるのか。ただの下手な、たまたま不器用な人だったのではないのか。だが老経営者は、その二人がただ車庫入れが下手だったと言っていたのではない。開場直前に周囲を巻き込んで自分のしりぬぐいをさせているその姿に、破綻の予兆を、見ていたのだと思います。
考えてみれば、面接というのは、相手が「見られている」と知っている場です。履歴書もそうだ。だからいくらでも取り繕える。だが、誰も採点していないと思っている所作に、その人が負荷や順番待ちにどう向き合うかが、むき出しになる。老経営者は、そのむき出しの一瞬を拾うためだけに、ビールも飲まず、寒い空の下に一時間近く立っていたのです。いかにも軽薄そうなあの仮面の下に、そんな観察の目があるとは、それまで思いもしませんでした。
年が明け、やがて繁忙期が来ました。そして、あの予言は、そのとおりになりました。今や幼稚園児でも指一本で使いこなすタブレットでの業務を、「嫌だ」と駄々をこね、やがて集団で辞職を申し出て、現場を混乱させた。その中心にいたのが、まさに、あの忘年会の夜に車庫入れで人を待たせていた、その二名だったのです。
一番身動きが取れないまさにその時に、彼らは投げ出した。あの夜、ゴールの手前で、ハンドルを切れずに後ろを詰まらせたのと、同じことを。老経営者は、何も言わなかった。ただ、あの寒い駐車場で、白い息をはきながら、すでにこれを見ていたのだと、私はそのとき初めて、背筋が寒くなりました。
あなたは、その人の「本番」を、どこで見ていますか。
整えられた書類や、用意された受け答えの中にではなく。誰も採点していないと思っている場所での、何気ない振る舞いの中に。そして——人を見るその目は、見られている側に回ったとき、自分自身にも向けられるものなのかもしれません。
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