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売り上げを知っている社員は、何人いますか

自分が何をしているのか分かっていない人は、その行いが善いか悪いかの判断すら、できません。自社の売上を、財務を、強みを、言える社員がどれだけいるでしょうか。互いに無関心な組織は、存続のリスクと、モラルハザードの危機に、知らぬ間にさらされています。働くことと、自分の核を持つことの関係を見つめる読み物です。

A COMPANY READING ・ 自分の核を、言えるか

SUMMARY

自分が何をしているのか分かっていない人は、その行いが善いことなのか悪いことなのか、判断する足場を持ちません。善悪の手前に、「自分はいま何をしているか」という自覚があり、その自覚がない人は、知らないうちに何でもしてしまう。自覚は、規律のいちばん深いところにある土台です。そしてこの土台は、会社で働く一人ひとりにも、同じように当てはまります。

漁師、百姓、大工。荒っぽい印象とは裏腹に、世間は彼らを「本当はいい人だ」と感じています。それは、彼らが「あなたの仕事は」と問われて、一言で答えられるからかもしれません。

一言で答えられる人は、核を裏切らない

「俺は漁師だ」「私は百姓です」「大工だよ」。自分が何をしているかを一言で言える人は、その核を、簡単には裏切りません。植えた作物を枯らすまいと最後まで踏ん張り、船を沈めまいと命をかけ、どれだけ追い詰められても、時化た沖には出ない。自分の仕事の輪郭がはっきりしている人は、その輪郭を守ることに、迷いがないのです。核がある、とはそういうことです。

無関心な組織は、もう崩れている

では、こう言う社員はどうでしょう。「この会社は儲かっているはずだ、もっと払うべきだ」。その人に売上を問い返して、答えられる割合はどれほどか。財務の中身を知っているか。自社の強みを言えるか。多くは、ルーチンを流すように仕事をこなしているだけで、自分が何をしているのかを、本当には知りません。会社が開示してこなかったのかもしれないし、社員が見ようとしないのかもしれない。確かなのは、互いに無関心なその組織が、存続のリスクとモラルハザードの危機にさらされている、という一点です。

自分が何をしているのかも分からないまま働く社員ばかりの会社ほど、危ういものはありません。やっていることの区別もつかず、中身に好奇心も持たない人が、規律を破ることに、ためらいを覚えるでしょうか。核のなさは、いつか必ず、どこかで漏れ出します。
この記事は、特定の職業に上下をつけるものではありません。一言で仕事を言える職人への敬意が主旨で、その逆を貶める意図はありません。また、社員が数字を知らないのは会社の開示不足による面も大きい。ここで問うているのは、働く側と会社の双方が、互いの中身に無関心であることのリスク——という一点です。

COLUMN

港町で生まれ育った人に聞くと、漁師というのは、おしなべて気が荒い、と言います。声は大きいし、口は悪いし、酒も強い。けれど、その同じ人が、決まってこう付け加えるのです。「でも、あいつらは、根はいいやつばかりだ」と。乱暴に見えて、どこか信用されている。その不思議を、長いこと考えてきました。

たどり着いた答えは、たぶん、こういうことです。漁師は、「お前は何をしている人間だ」と問われれば、迷わず「漁師だ」と答える。百姓は「百姓だ」と言い、大工は「大工だよ」と言う。たった一言で、自分が何者かを言い切れる。その一言を持っている人は、その一言を、簡単には裏切らないのです。自分の輪郭が、自分にはっきり見えているからです。

百姓は、丹精して植えた作物を、枯らすまいと最後まで踏ん張ります。台風が来れば夜通し見回り、水が足りなければ自分が水をかぶってでも、田に水を引く。大工は、自分が建てた家が傾くことを、何よりの恥とする。そして漁師は——どれだけ不漁が続いて、家計が追い詰められても、時化た沖へは、出ません。出れば、ひと網で借金を返せるかもしれない。それでも、出ない。船を沈め、命を落とせば、守るべきものを守れなくなると、骨身で知っているからです。

時化の沖に出ないというのは、臆病とは違います。それは、自分の仕事の核が、どこにあるかを知っている者の、規律です。漁師の核は、大漁ではなく、明日も海に出られること。その核を守るために、彼らは目先の大きな儲けに、あえて背を向ける。一言で自分を言える人は、その一言の中に、守るべき一線を、ちゃんと畳み込んで持っているのです。

さて、ひるがえって、会社で働く人を思い浮かべます。「この会社は儲かっているはずだ、もっと払え」と言う社員に、では、うちの去年の売上はいくらだったか、と問い返してみる。答えられる人は、思いのほか少ない。粗利がどれくらいで、何にいちばん金がかかっていて、この会社のどこが強くて食べていけているのか。その輪郭を、一言で言える人は、さらに少ないのです。

もちろん、これは社員だけの責任ではありません。数字を開いてこなかった会社の側にも、半分の非はあります。けれど、開かれていないにせよ、見ようとしないにせよ、結果として起きていることは同じです。自分がいま、何の上に乗って、何をして給料を得ているのか——その輪郭が、本人にも見えていない。漁師が「漁師だ」と言うようには、「私は、この会社で、これをしている」と、言い切れないのです。

ここに、底の見えない危うさがあります。自分が何をしているか分からない人は、その行いが、会社にとって善いことなのか、悪いことなのかも、判断できません。善悪の物差しは、「自分はいま何をしているか」という自覚の上にしか、立たないからです。時化の沖に出てはいけない、という一線は、自分が漁師だと知っている者にしか、引けない。自分の輪郭を持たない人に、越えてはいけない一線が、見えるでしょうか。

やっていることの区別もつかず、自分の手がけているものの中身に、好奇心のかけらも持たない。そういう人が大半を占める船は、なぎの日には、何ごともなく進みます。けれど、ひとたび時化が来たとき、誰が舵を握り、誰が「沖へ出るな」と言うのでしょうか。自分が何をしているか分からない者ばかりが乗った船は、嵐の中で、行ってはいけない沖へ、平気で舳先を向けてしまう。そのことの恐ろしさを、なぎのうちに、一度くらいは考えておいてもいいのかもしれません。

あなたは、自分の仕事を一言で言えますか。そして、自社の数字を言えますか。

一言で言える人は、その核を守ろうとします。言えない人は、何を守るべきかも分からないまま、流されていきます。会社の数字を知らないことは、ただ知識が欠けているという話ではありません。自分がいま、何の上に立って働いているのかを、知らないということなのです。

提供:¥Today

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