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閉めたはずのドアの隙間

泥棒を防ぐには、鍵を閉めなければなりません。だとすれば——鍵を閉め忘れる人、閉めた鍵をうっかり開けてしまう人は、本当は内側にいてはならないのです。リスクマネジメントという言葉ほど、企業にとって達成しがたいものはありません。リスクは、いつも見えない場所からやってくるからです。閉めたはずのドアの隙間から、その逆説を見つめる読み物です。

A COMPANY READING ・ 内側にいる、穴
この記事のタグ ガバナンス 人事・労務

SUMMARY

泥棒を防ぐ方法は、突き詰めればひとつです。鍵を閉めること。けれど、その単純な対策には、見落とされがちな前提があります。鍵を閉め忘れる人や、閉めた鍵を内側から開けてしまう人が組織の中にいる限り、戸締まりは決して完成しないということです。守りの穴は、外側ではなく、たいてい内側にあります。

世にあふれる「リスクマネジメント」という言葉。実はこれほど、企業にとって達成しがたいものはありません。リスクとは、いつも見えていない場所からやってくるものだからです。

リスクは、管理できない

リスクは、根絶できるかもしれません。けれど、コントロールはできません。いつ、どこから来るかが読めないからこそ、リスクなのです。「管理する」という言葉は、相手が予測できることを前提にしています。予測できないものを管理するというのは、言葉として、すでに矛盾している。だから、本当の意味でリスクを抑えたいなら、できることはひとつしかありません。

読めない者を、内に抱えない

それは、リスクを内に抱えた人や物を、組織から外しておくこと。いつ何をするか読めない人が中にいれば、その発生も波及も、都合よくコントロールできるはずがありません。声高にリスク管理を唱えることと、実際に穴をふさぐことは、まったく別の作業です。立派なスローガンを叫ぶ人ほど、自分の足元のドアを、閉め忘れていたりするのです。

リスク管理を一番大きな声で唱える人が、一番、足元のドアを閉め忘れている。守りとは、スローガンの大きさではなく、最後に自分がドアを閉めて帰ったかどうか——その地味な一点に、すべてが表れます。
この記事は、リスク管理の取り組みそのものを否定するものではありません。備えは大切です。ここで問うているのは、「管理できる」という言葉が与える安心が、かえって足元の単純な戸締まりから目を逸らさせていないか——という一点です。

COLUMN

その上司のことを、総務の私は、正直なところ苦手にしていました。毎日のように開かれるミーティングで、彼はいつも同じことを叫ぶのです。経費を削れ。無駄遣いをやめろ。一人ひとりが注意深く行動して、リスクを管理しろ、と。言っていることは、たぶん正しい。正しいのだけれど、その正しさを、これ見よがしに振りかざす様子が、どうにも好きになれませんでした。

そして、これはささいなことなのですが——その彼が会議室を出ていったあとのドアは、いつも決まって、半端に開いているのです。最後まで閉め切らず、手のひら一枚ぶんほどの隙間を残して、本人は気づかずに行ってしまう。冷暖房の効いた部屋の空気が、その隙間からすうっと逃げていく。経費を削れと言うのなら、まずそのドアを、最後まで閉めてから言ってほしい。私は心の中で、いつもそう毒づいていました。

ある日のことです。終業後に同僚と外で食事をして、その帰り道、たまたま会社の前を通りかかりました。見上げると、オフィスの窓という窓に、煌々と明かりがついている。フロアの照明が、ほとんど全部、つけっぱなしなのです。誰かが、消し忘れて帰ったのだ、とすぐにわかりました。あれだけ無駄をなくせと毎日叫ばれている、その会社の窓が、夜空に向かって、電気を撒き散らしていたのです。

困ったのは、鍵でした。あの時間に鍵を開けられる、近所に住む人間は、社長くらいしかいない。私は迷った末、LINEの通話で社長に事情を話し、すみませんが、と頭を下げて、鍵を開けに来てもらいました。社長と二人、しんと静まったフロアを一つひとつ回って、明かりを落としていく。最後のスイッチを切ったとき、窓の外がようやく、ふつうの夜の暗さに戻りました。私はなんだか、自分が悪いことをしたわけでもないのに、ひどく疲れていました。

翌朝のミーティングで、私はなるべく感情を込めずに、昨夜のことを報告しました。最後に退社したのは、いったい誰だったのでしょうか、と。とたんに、あの上司が血相を変えました。自分は確かに見回ったはずだ、いや、あのとき誰々がまだ残っていて、と、誰も問い詰めてなどいないのに、次々と言い訳が口をついて出る。挙げ句、社長室にまで聞こえるような大声で、彼はこう叫んだのです。「この程度の電気代など、私が営業で新規を開拓して、すぐに埋め合わせてみせます!」と。

私は、その大声を聞きながら、ひどく不思議な気持ちになっていました。電気を消し忘れたなら、ただ、すみませんでした、次は気をつけます、と言えばいい。それだけのことなのに、彼はそれが言えない。穴をふさぐかわりに、もっと大きな声で、別の手柄を約束してみせる。リスクを管理しろと一番大きな声で叫んでいた人が、一番、足元の単純な戸締まりを、できていなかったのです。

結局のところ、守りというのは、立派なスローガンの大きさではないのだと思います。最後に部屋を出る人が、振り返って、明かりを消したか。鍵をかけたか。ドアを、最後のひと押しまで、ちゃんと閉めたか。その、誰も褒めてはくれない地味な所作の積み重ねの中にしか、本当の戸締まりは宿らない。声の大きさは、隙間を、ひとつも埋めてはくれないのです。

その日、ミーティングが終わって、彼はまた、大股で会議室を出ていきました。そして——その背中の向こうで、ドアには、いつものとおり、手のひら一枚分の隙間が、開いていたのです。

あなたの組織で、最後にドアを閉めて帰っているのは、誰ですか。

立派な対策を唱える声の大きさと、戸締まりの確かさは、別のものです。守りは、いつも地味な所作の積み重ねの中にあります。閉めたはずのドアに残る、手のひら一枚分の隙間——その隙間をつくっているのが、実は一番大きな声で安全を語っていた人だった、ということは、案外、珍しくありません。

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