百五銀行——明治の国立銀行に名を継ぐ三重の地銀は、何に貸すか
預貸率84.9%、預金6.0兆円。津市に本店を置く百五銀行。第百五国立銀行に名を継ぐ三重県トップの地銀が、預金の8割超を貸す姿を、堅実経営という来歴から読みます。
三重県津市に本店を置く百五銀行は、地元で「ひゃくご」と呼ばれる、三重県を代表する地方銀行です。預金5兆9,843億円、貸出金5兆781億円、店舗145。三重県の県内トップバンクであり、県および県下大半の市町の指定金融機関——公金を扱う銀行——でもあります。
本拠地の三重県は、東海と近畿の境に位置する、産業の多彩な土地です。北勢の四日市を中心とする石油化学・電子部品などの工業地帯、伊勢志摩の観光と真珠・水産、伊賀・松阪の農業と商業が、県内に並び立ちます。名古屋経済圏と関西経済圏の双方に接し、製造業の集積も厚い。この、工業から観光・農業まで幅広い産業を抱える土地柄が、百五銀行の数字を読む鍵になります。
百五銀行の名は、明治の国立銀行にさかのぼります。1878年、旧津藩(藤堂氏)の武士たちによって、国立銀行条例にもとづく「第百五国立銀行」として設立され、1897年に普通銀行へ転換して株式会社百五銀行となりました。当時、全国の国立銀行には設立順に番号が振られ、その105番目がこの銀行です。以来、地元重視の堅実経営で知られてきました。数字の面で目を引くのは、預貸率84.9%という高さです。
まず、数字を並べる
百五銀行の預金は5兆9,843億円、貸出金は5兆781億円、預貸率84.9%。自己資本比率は11.92%、不良債権比率は1.32%と低い。中小企業等向けの貸出残高は3兆8,700億円にのぼります。
| 預金 | 5兆9,843億円 |
|---|---|
| 貸出金 | 5兆781億円 |
| 預貸率 | 84.9% |
| 自己資本比率 | 11.92% |
| 不良債権比率 | 1.32% |
| 中小企業等向け貸出残高 | 38,700億円 |
| 店舗 | 145店 |
預貸84.9%・不良債権1.32%。よく貸しながら焦げ付きは低い。
84.9%と1.32%を、三重の産業から読む
預貸率84.9%という高さと、不良債権比率1.32%という低さ。この組み合わせは、産業の厚い土地を地盤とする県内トップ地銀の、力強い経営を示しています。集めた預金の8割を超える額を貸出に回せるのは、それだけ貸す相手が豊富にいるからにほかなりません。
百五銀行が貸す相手は、三重県内の幅広い事業者と個人です。四日市の工業地帯の製造業、伊勢志摩の観光・水産、伊賀・松阪の農商工、そして県内の住宅需要が、その融資先に含まれます。名古屋経済圏と関西経済圏の双方に接する三重では、製造業の設備投資需要も、商業・サービスの資金需要も厚い。県内トップの基盤を持つ百五銀行は、その豊富な資金需要を取り込み、地方銀行のなかでも高い預貸率を実現していると読めます。さらに、隣接する愛知・和歌山、そして大阪・東京にも店舗を持ち、県外の取引も取り込んでいます。
そして、これだけ貸しながら不良債権比率は1.32%と低い水準に抑えられています。これは、多彩な産業に貸し先が分散し、特定の産業の浮き沈みに左右されにくいことと、明治以来「堅実経営」を旨としてきた与信姿勢の表れと読めます。工業・観光・農業がそれぞれ異なる景気の波を持つため、県全体としては安定しやすい。自己資本比率11.92%という相応の厚みとあわせて、攻めと守りを両立した県内トップ地銀の姿がうかがえます。もちろん、これらの比率には経営方針や景気も絡むため断定はできませんが、産業の多彩な三重という土地と、堅実経営の来歴を抜きに、この数字は読めません。
同じ三重で、紀勢の信金と並べてみる
本紀行には、同じ三重県の紀北信用金庫も登場しています。紀北信金は、県南部・東紀州の尾鷲などに根ざす信金でした。県全域を相手にする県内トップ地銀・百五銀行(預貸率84.9%・預金6.0兆円)と、紀勢の小さな範囲に密着する紀北信用金庫とを並べると、同じ三重県でも、産業の厚い県中北部を取り込む大きな地銀と、県南部の限られた地域を支える信金とで、規模も役割も大きく異なることが見えてきます。紀勢の信金の姿は、紀北信用金庫の記事もあわせてどうぞ。
借り手にとっての意味
県を代表する大手地銀は、三重県の事業者にとって、もっとも身近な選択肢のひとつです。県内トップの基盤と、県外にも広がるネットワークは、成長や広域取引を目指す企業にとって心強いものです。高い預貸率は積極的に貸す姿勢の表れとも読めますが、それが個別の融資の可否を保証するものではありません。預貸率という数字の読み方は、預貸率の読み方であらためて整理しています。
数字は、三重の産業を映す
預貸率84.9%という高さと、不良債権比率1.32%という低さは、工業・観光・農業が並び立つ三重に根ざし、県内トップの基盤を持って攻めと守りを両立してきた地銀の姿を映しています。単一の産業に左右される金融機関もあれば、百五銀行のように多彩な産業に支えられる地銀もある。数字は、その金融機関がどんな土地に立っているかを語ります。百五銀行の数字は、明治の国立銀行に名を継ぐ三重のトップ地銀の、いまの記録です。
各地の金融機関には、それぞれの土地と来歴の事情が刻まれた、それぞれの生き方があります。三重県の他の金融機関とあわせて眺めたい方は、三重県の地域金融機関のページもどうぞ。
出典:預金・貸出金・預貸率・自己資本比率・不良債権比率・中小企業等向け貸出残高=金融庁「中小・地域金融機関情報一覧」令和7年3月末(預貸率は貸出金÷預金で算出)。
百五銀行の沿革(1878年に旧津藩士により第百五国立銀行として設立、1897年に普通銀行へ転換し株式会社百五銀行となったこと、行名が明治期の国立銀行に由来すること、津市本店、三重県および県下大半の市町の指定金融機関、県内トップバンク、地元重視の堅実経営、愛知・和歌山・大阪・東京にも店舗を持つこと)に関する記述=百五銀行および各種公開情報にもとづく。
三重県の産業(四日市の工業地帯、伊勢志摩の観光・水産、伊賀・松阪の農商工、名古屋・関西両経済圏に接すること)に関する記述=各種公開情報。
紀北信用金庫の位置づけ=各種公開情報および本紀行既出記事。
ナンバーバンク(国立銀行)の一般的な成り立ちに関する記述=一般的な金融史の説明にもとづく。