金持ちになりたい人と、実業家になりたい人
金持ちになりたいのと、実業家になりたいのは、まるで別のことです。けれど驚くほど多くの人が、この二つを取り違えています。借りてきた高級時計を「買った」と吹聴する者と、事業を一から立ち上げる者。同じ「成功したい」に見えて、向いている方向はまるで逆かもしれません。夢の中身を、見つめ直す読み物です。
SUMMARY夢の、向きの話
「金持ちになりたい」と「実業家になりたい」は、しばしば同じ夢のように語られます。けれど、この二つはまるで別のものです。実業家になりたいとは、世の中に何かを生み出し、人の役に立つ仕組みをつくりたいということ。金持ちになりたいとは、その結果として手に入るかもしれないものを、先に欲しがっているということ。順序が、まるで逆なのです。
いま、動画の中で「金持ち」を演じる人がたくさんいます。けれどよく見ると、彼らが見せているのは、富そのものではなく、富の記号です。記号は、借りてくることができます。
借りてきた時計と、納豆ご飯
たとえば、こんな人がいます。なけなしの金で高級時計をレンタルしてきて、「これを買った」と吹聴し、再生回数を稼ぐ。カメラが回っていないところでは、納豆ご飯をかき込みながら、来る日も来る日も、金持ちの真似を続けている。彼が売っているのは、富ではありません。富に見えるもの——記号です。そして記号は、中身がなくても成立してしまう。だからこそ、空虚なのです。
「金持ちになりたい」では、何も手に入らない
金持ちになって、何がしたいのか。多くの人が思い浮かべるのは、スポーツカー、タワーマンション、「社長」という呼ばれ方——そういった、富の記号です。けれど、それらは実業の成果の先にあるか、あるいは生まれながらの富によってしか手に入らないものです。「金持ちになりたい」という願いそのものからは、何ひとつ実現しません。願いには、向きがないからです。実業家の夢には、向きがあります。何をつくり、誰を助けるか、という向きが。
COLUMN借りもののハンドル
むかし、起業が夢だ、と目を輝かせて語る青年がいました。何をつくりたいのか、と尋ねると、答えは、いつも妙にきらびやかでした。真っ赤なスポーツカー。見晴らしのいいタワーマンションの最上階。高級腕時計。そして何より、人から「社長」と呼ばれること。彼の語る夢の輪郭は、不思議なほどくっきりしていて、けれど、その中身は、すべて「手に入れたいもの」のかたちをしていたのです。
誰かが、彼に尋ねたことがあります。その車で、どこへ行きたいのか。そのマンションで、何をするのか。社長と呼ばれて、何をつくるのか、と。すると彼は、言葉に詰まりました。彼の夢には、行き先がなかったのです。欲しいものの名前は、いくらでも挙げられる。けれど、それを使って何をなすのか、という「向き」が、どこにも見当たらない。彼が見ていたのは、夢ではなく、夢のかたちをした記号の山でした。
考えてみれば、彼の挙げたものは、どれも奇妙な性質を持っていました。スポーツカーも、タワーマンションも、「社長」という呼称も、それ自体を目がけて手に入るものではない。何かをつくり、人の役に立ち、その結果として、あとからついてくるもの。あるいは、生まれついての富に付帯するもの。「金持ちになりたい」という願いの正面からは、そのどれにも、たどり着けないのです。願いに向きがなければ、人は一歩も進めません。
実業家の夢には、向きがあります。この不便を解消したい。この人たちを助けたい。この技術を世に出したい。その向きに沿って手を動かすうちに、気づけば富が、あとからついてきていることがある。富は、目的地ではなく、正しい方向に進んだ道のりの、副産物なのです。順序を取り違えた人は、副産物のほうを先に欲しがって、道そのものを歩き出せずにいます。
では、向きのない願いを持った人は、どうするか。手っ取り早い方法が、ひとつあります。記号だけを、借りてくることです。一日いくらで高級時計を借り、他人の車の前で写真を撮り、まるで自分のもののように、ハンドルを握ってみせる。中身がなくても、記号は成立する。カメラの前では、確かに「成功者」に見える。そうやって、向きのない夢は、借りものの記号で、つかのま埋め合わせられるのです。
けれど、借りたものには、必ず返す日が来ます。時計は持ち主のもとへ戻り、車は貸し主のガレージへ帰っていく。握っていたハンドルから手を離し、運転席を降りたあと、その人の手元には、何が残るでしょうか。価値をつくった記憶も、誰かを助けた手応えも、向きを持って歩いた道のりも、借りものの中には、最初から入っていません。返したあとに残るのは、借りる前と同じ、空っぽの手のひらだけです。
借りものの記号で着飾った時間が長いほど、人は、自分が何も生み出していないことを、見ないですみます。けれど、見ないことと、無いことは違う。納豆ご飯をかき込みながら金持ちを演じ続けた人の手元に、演技をやめたあと、何が残るのか。借りものの車のハンドルを握って、エンジンもかけずに写真だけ撮っていた人が、いざ自分の足で行きたい場所を問われたとき、その指は、どこを指せるのか。本当に手に入れたものの正体は、いつも、借りたものをすべて返したあとに、ようやく見えてくるのです。
あなたが欲しいのは、富そのものですか。それとも、富に見えるものですか。
何かをつくりたいという夢には、進む向きがあります。富の記号を先に欲しがる願いには、向きがありません。借りものの時計も、借りもののハンドルも、返す日が必ず来ます。返したあとに何が残っているか——それが、本当に手に入れたものの正体です。
提供:¥Today