終わらせても、人生は続く
事業を畳むという選択は、敗北ではありません。問題は、終わらせるかどうかよりも、どう終わらせるか。追い詰められて崩れるように畳むのと、自分の手で筋を通して畳むのとでは、その後に残るものがまるで違います。立つ鳥跡を濁さず——そう終えた先にある、もう一つの人生の話までを書きます。
SUMMARYまず、要点だけ
事業の終わらせ方には、作法があります。そして、その作法を実行できるかどうかは、ほとんど「いつ動き始めたか」で決まります。資金が尽き、にっちもさっちもいかなくなってから慌てて畳もうとしても、もう、誰にも誠実に向き合うだけの余力が残っていません。
畳むと決めたなら、追い詰められてからでは遅い。動けるうちに、自分の手で筋道をつける。そこだけは、譲ってはいけない一点です。
一年前から、身を慎んで備える
目安として、本当に終わらせるその一年ほど前から、準備にかかる心づもりが要ります。なぜそんなに早くか。理由の一つは、終わり際に特定の相手にだけ慌てて支払うと、後の整理の場面で、その支払いが問題として扱われ、巻き戻される可能性があるからです。だから、整理を見据えるなら、相当に早い段階から、計画的に筋を通し始める必要があります。
同じくらい大切なのが、暮らし方です。早くから返済に充てる一方で、派手な暮らしや浪費を続けていれば、払ったそばから新しい支払い義務が生えてきて、いつまでも終われません。一年がかりで、身を慎んだ暮らしへと静かに移っていく。それが、濁さず終わるための土台になります。
順序は、弱い立場の相手から
筋の通し方には、おのずと順序があります。まず従業員。生活を預けてくれた人たちへの責任が、何よりも先に来ます。次に取引先。とくに、こちらが倒れれば連鎖して傾きかねない、小さな下請けや外注先ほど、丁寧に。そして銀行。立場の弱い者から順に、迷惑を最小にしていく——これが「立つ鳥跡を濁さず」の中身です。
そして、終わらせた先に残るもの
最後に、あまり語られないことを一つ。誠実に畳み終えた経営者が手にする、いちばん大きな財産は、お金でも事業でもありません。自分自身の人生です。事業を続けるあいだも、終わらせる一年のあいだも、生きる軸はずっと、誰かのケアに置かれてきました。その重荷を、順序を守って下ろしきったとき、初めて、自分のためだけの時間と、自分の考えだけで動く自由が手に入ります。なまじ抱えるものが減ったぶん、守るべき取り巻きもいない。それは、財産を抱えたままのハッピーリタイアよりも、ずっと身軽で、楽な自由かもしれません。終わらせることは、人生を終わらせることではない。むしろ、自分の人生を、ようやく自分の手に取り戻すことなのです。
COLUMNもう少し、深く
朝、彼は一杯のコーヒーをいれる。豆をひく音が、しんと静まった台所に、思いのほか大きく響く。湯を注ぎ、立ちのぼる湯気を、ただ見ている。それだけのことに、いまの彼は、不思議なほど満たされている。誰かのためでも、何かの締め切りのためでもない。自分が飲みたいからいれる、ただ、それだけの一杯。長いあいだ、彼はこんな朝の味を、忘れていた。
事業を畳むと決めてから、すべてを終えるまで、ずいぶんと長い時間をかけた。慌てて幕を引くことは、彼にはどうしてもできなかった。崩れるように終えれば、必ず誰かに不義理を働く。長年世話になった人たちの顔が、夜ごと、次々と浮かんだ。だから彼は、まだ自分の足で動けるうちに、一つずつ、筋を通していった。誰に、どの順で、頭を下げにいくべきか。その順を、最後まで違えないように、自分に言い聞かせながら。
その日々は、けっして軽いものではなかった。むしろ、事業を切り盛りしていた長い歳月よりも、それを終えていく一年のほうが、ある意味では重かったかもしれない。最後の最後まで、彼の一日は、自分以外の誰かのことで埋まっていた。預かった人々の、これからの身の振り方。世話になった相手への、せめてもの筋。背負ってきたものを、最後の一つになるまで、取り落とさぬよう、丁寧に下ろしていく作業。終わらせることにも、こんなにも力が要るのかと、幾度も思った。
そうして、ある日、すべてが終わった。
終えた朝、彼を包んだのは、奇妙な感覚だった。喪失でもなく、解放でもない。もっと静かな、名づけようのない何か。長いこと肩に深く食い込んでいた重みが、ふいに消えて、その軽さに、かえって体のほうが戸惑っているような。手持ち無沙汰、と言ってもよかったかもしれない。今日という一日、自分は何をしてもいいし、何もしなくてもいい。その単純な事実に思いあたるまで、彼は、ずいぶんと長いあいだ、台所に立ち尽くしていた。
考えてみれば、と彼は思う。ずいぶん長いこと、自分のためだけに時間を使う、ということをしてこなかった。何かを決めるとき、いつも頭の片隅に、守るべき誰かの顔があった。その人たちの暮らしを思えば、軽はずみなことは何ひとつできなかった。誰の視線も気にせず、ただ自分の心の向くままに、一日を過ごす。そんな、若い頃には当たり前にできていたはずのことが、いつのまにか、できなくなっていた。
もちろん、この静けさを、彼が後ろめたさなく味わえているのには、理由がある。もし彼が、立場の弱い誰かを踏みつけ、約束を濁したまま、ただ逃げるように店を閉じていたら——この朝は、けっしてこうは訪れなかっただろう。逃げた者の朝には、いつまでも、背後から追ってくるものがある。畳むべきものを、畳むべき順に、時間をかけてきちんと畳み終えた。その事実だけが、この一杯を、心の底から味わうことを、彼に許してくれている。
失ったものは、たしかに、数えきれないほど多い。長年かけて築いた事業。日々の、身を削るような慌ただしさ。名刺の上にあった、誇らしい肩書き。けれど、それらすべてと引き換えるようにして、彼の手のなかに、たしかに残ったものがある。誰に断りを入れることもなく、自分の二本の足で、行きたいところへ行ける。そのことの軽やかさは、たくさんのものを抱え込み、その重みを生涯、守りつづける暮らしよりも、ことによると、ずっと豊かなのかもしれなかった。
窓の外が、少しずつ、明るくなっていく。どこかで、鳥の声がする。以前のこの時間なら、彼の頭は、もうその日の段取りでいっぱいだった。誰と会い、何を片づけ、どの数字に頭を悩ませるか。それがいまは、ただ、白んでいく空を、なすこともなく眺めている。何にも追われず、ただ朝を朝として過ごす。それだけの時間が、彼には、何ものにも代えがたい贅沢に感じられた。
終わらせるということは、そこで何もかもが尽きてしまうことだと、彼はずっと、どこかで思い込んでいた。けれど、そうではなかったのだ。終えた朝にも、こうして光は射すし、湯気は静かに立ちのぼる。一日は、昨日と変わらず、また新しく始まっていく。彼は、二杯目をいれようか、とふと思う。もう、急ぐ理由は、どこにもない。