「覚悟を見せる」——相手が納得するまで身を削ぐ
債務超過や赤字で、リスケ(リスケジュール)や債務の一本化を金融機関と交渉する——その前に一度だけ立ち止まりたい、資産の話。換金額の問題ではなく、債権者に「どう見えているか」の問題です。役員の資産も例外なく整理の対象に見据えましょう。
SUMMARYまず、要点だけ
銀行に融資を断られた。追加融資の見込みが立たない。債務超過の状態で、リスケや債務の一本化を相談しなければならない——その局面に立つと、多くの経営者は「どう資金を引っ張るか」に意識を向けます。しかし新規の資金調達がもう難しい段階では、視点を変える必要があります。いま見られているのは、これから何を借りるかではなく、どこまで自分が痛みを引き受けるかです。
幾度も繰り返してきた果ての条件の緩和やリスケ期間の延長は、不採算部門や人員の切り離しをセットで申し入れないと、話が前に進みません。痛みを引き受ける姿勢が、交渉のスタートラインです。
その「姿勢」を最も雄弁に語るのが、経営者自身の資産です。ここで誤解されがちなのは、資産整理を「換金していくら作れるか」という金額の問題として捉えてしまうこと。実際には、債権者が見ているのはもっと別のところにあります。
気づかないまま持っている資産は、ないか
使っていない社用車、稼働していない設備、レジャー会員権、保養施設の権利——「自分は質素にやっている」と感じている経営者ほど、日常になじんで意識から外れた資産を持っていることがあります。それらは、帳簿の上では小さな数字でも、交渉の場では大きな意味を持ちます。
同時に見ておきたいのが、経営者個人の信用です。法人の信用情報だけでなく、経営者保証ガイドラインや個人保証の解除がどう絡むかは、整理の順序を左右します。資産をどう扱うかは、自己資本比率の見え方や、その後の個人保証の交渉とも地続きです。だからこそ、思いつきで処分するのではなく、専門家と順序を相談しながら進めるのが安全です。
COLUMNもう少し、深く
ある経営者の話をしたい。リスケの相談に向かう朝、彼は社用のセダンではなく、自分の足で電車に乗った。質素にやっている、という自負が彼にはあった。役員報酬は二年前から半分に削った。長年通ったゴルフの会員権も手放した。交際費も、出張のグリーン車も、切り詰められるものはすべて切り詰めた。削れるものは削った、もう削るものはない——そう信じて、彼は資料の束を鞄に詰めた。
だが、その手の先に、ひとつだけ、彼の意識から抜け落ちていたものがあった。保養施設の会員権である。業績が右肩上がりだった頃に取得し、いまは年に二度、三度、子どもたちを連れて出かける。小さかった子がもう高校生になり、家族でそろって出かける数少ない機会として、年中行事のようになっている。年会費は月々の数字の中ではあまりに小さく、彼はもう何年も、それを資金繰りの対象として意識したことすらなかった。生活になじみきって、風景の一部になっていたのだ。
人は、痛みを伴って手放したものはよく覚えている。役員報酬を半分にした痛み。会員権を売りに出した日の、あの少し惨めな気持ち。それらは削った証として、ときに誇りにすらなる。あれも手放した、これも諦めた——その記憶の一覧が、自分はもう十分に削ったという確信を支える。けれど、痛みなく持ち続けているものには、目が向かない。手放すときに痛んだものだけが記憶に残り、痛まずに居座り続けているものは、棚卸しの網の目をすり抜けていく。本人が質素だと信じているとき、その信念そのものが見落としを覆い隠してしまう。質素であろうとする真面目さが、かえって死角を作る。皮肉な話。
削った量が多い経営者ほど「もう削るものはない」という確信が強くなり、その確信が最後のひとつを見えなくする。
仮にその会員権が、交渉の席で話題に上ったとする。決算書の片隅、固定資産の明細の中に、その権利は記載されている。読む者が読めば、見える。会社は苦しいと頭を下げる言葉と、いまも家族の休暇のために保たれているひとつの権利と。その二つが同じ机の上に並んだとき、相手の胸の内に生まれる小さな引っかかりを、想像してみてほしい。それは糾弾ではない。ただ、静かに信頼の目盛りが一つ下がる、その感触だ。
断っておきたいのは、その会員権を売れ、という結論ではないことだ。何をどの順で処分し、何を手元に残すかは個別の事情によって変わるし、金融機関や債務整理に詳しい専門家と相談しながら決めるべきことだ。言いたいのは、もっと手前のこと——削る覚悟とは、削れるものを削る決意だけを指すのではない。自分がまだ削っていないものに、自分自身で気づける目のことでもある。誇りを持って手放したものの一覧ではなく、無意識のうちに握りしめたまま忘れていたものの一覧。その後者を、誰に指摘されるよりも先に、自らの手で書き出せるかどうか。交渉の相手は、その目の有無を、言葉にならない直感で測っている。数字の大小ではなく、その人がどこまで自分を見つめられるかを。
鞄の中の資料を見直すよりも先に、一度だけ、自分の手のひらをそっと開いてみてほしい。そこに何を握っているか。握っていることすら、忘れてはいないか。その確認から、すべては始まる。